2019年10月28日月曜日

田瀬ダムに行ってきました(3回目)


田瀬ダムを見に行ってきました。

田瀬ダムは岩手県花巻市にある北上川水系猿ヶ石川の重力式コンクリートダムで、堤高は81.5m、堤頂長は320mあるそうです。

田瀬ダムは北上山地の奥深く流れ出る猿ケ石川をせきとめて造られたそうです。

工事は五大ダムで最も早く昭和16年に始まりましたが、戦争で中断し、再開されたのは昭和25年10月、その4年後の昭和29年10月に完成したそうです。国直轄ダム事業で初めての本格的な重力式コンクリートダムだったそうです。

国直轄施工ダム第一号として、昭和16年に着工したが昭和19年に太平洋戦争の激化により中断したそうです。カスリン・アイオン台風により計画を見直し、昭和29年に完成。放流水を活用した水質保全施設を設置しているそうです。



このたび、田瀬ダムの高圧放流設備が日本機械学会の機械遺産に認定されたそうです。

機械遺産とは、歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に、日本機械学会が、主として機械技術に関わる歴史的遺産を「機械遺産」として認定しているそうです。

ダムの機械設備としては、初めての機械遺産認定だそうです。

ダムの技術が日本の技術の発展に寄与したということでしょうかね。



田瀬ダムものしり館の近くの原っぱに当該機械遺産の認定を受けた高圧放流設備が展示されていました。

なんでも、堤体の低い位置でダム湖の水の高い水圧を受けながら、密閉性を保ちながら、ゲートを開け閉めできる油圧式の装置なんだそうです。

間違っていたらごめんなさい。



ダム湖は「田瀬湖」と名付けられています。今日も田瀬湖は穏やかでしたね。この日はあいにくすっきりしないお天気でした。晴れていればもっと眺めのいい景色が見られたかもしれませんね。

ダムは訪れたときの天気によっても見える景色が違って面白いですね。



ダムの天端です。自動車で通過することができます。利便性はあるかもですが、私はダムの天端をウロウロするのが好きなので、交通の往来には十分注意しないといけないですね。



下流の方でチョロチョロと放流していましたね。



高圧放流設備と田瀬ダムを一直線に見ることができるポイントですね。

ダムにはたくさんの技術が結集しているんでしょうね。また見に来たいと思いました。


別の記事:田瀬ダムに行ってきました(2回目)
田瀬ダムを見てきました

2019年10月7日月曜日

胆沢ダムに行ってきました(6回目)


胆沢ダムを見に行ってきました。

胆沢ダムは岩手県奥州市にある北上川水系胆沢川のロックフィルダムで、堤高は127m、堤頂長は723mあるそうです。

胆沢ダムは、北上川水系の上流ダム群の内の一つです。

岩手・宮城両県にまたがる北上川は、幹川流路延長249km、流域面積10,150㎢の東北地方最大の河川です。この北上川水系は本川に大きな影響を及ぼす支川が各所で合流するため、洪水流出が急激であること、一関市狐禅寺下流の狭窄部で洪水の流下が大きく妨げられ、さらにその上流に湛水現象が発生するなどの出水特性があるため、過去に幾度となく多大な被害を受けてきましたため、胆沢ダムは、北上川の右支川胆沢川に建設されました。

治水面はもとより、河川環境の保全のための流量の確保、下流に広がる穀倉地帯へのかんがい用水の補給、下流の胆江地区への水道用水の共有、発電を行う多目的ダムだそうです。



胆沢ダムの天端には、石淵ダムカード風フォトフレームが設置されていました。枠の向こう側に、石淵ダムの頭が少し見えていますね。



胆沢ダム管理支所の建物内に、石淵ダムのジオラマ模型が展示されていました。

今まで何度も見ていたような気がしますが、こうやって石淵ダムの実物を見た後にこのジオラマ模型を見ると、また違った見え方をするというかなんというか。

「ここがあそこで、あれがここなんだなー。」って見ることができますね。

出来れば、石淵ダムの全体像を生で見てみたいものですね。



今はこれがせいいっぱいですね。

ダム湖は「奥州湖」と名付けられています。総貯水容量は1億4,300万㎥だそうです。全部飲めといわれても、とても飲みきれませんね。



奥州湖眺望台に来て、胆沢ダムを上から覗いてみてみました。眺望台はけっこう高い場所にありますが、それでもまだ胆沢ダムは大きく見えます。さすがわが国最大級のロックフィルダムですね。



訪れるたびに私に新しい姿を見せてくれるダム。

今回も胆沢ダムには石淵ダムを見せていただいたり、絶妙な堤体のカーブをまじまじを見ていたりしました。

また見に来たいと思いました。



別の記事:胆沢ダムに行ってきました(5回目)
胆沢ダム周辺の紅葉を見てきました
晴天の胆沢ダム
胆沢ダムのライトアップを見てきました
胆沢ダムに行ってきました

2019年10月6日日曜日

胆沢ダム湖に沈んだ石淵ダムを見に行きました


石淵ダムが見えるということで見に行ってきました。胆沢ダムの貯水位が低下したことにより、ダム湖に沈んだ石淵ダムがちょっと見えるようになったとのことです。

石淵ダムは現在の岩手県奥州市にかつてあった北上川水系胆沢川のロックフィルダムで堤高は53m、堤頂長は345mだったそうです。

また、北上川上流5大ダム計画のうち最初に完成したダムで、胆沢川の北上川合流点(奥州市水沢区)から上流25㎞の地点に位置していたそうです。終戦直後の不安定な社会情勢下の昭和21年の着工だったため、建設に要する資材・労働力及び建設機材の確保には多くの困難を要し、8年の歳月延べ181万人の人力、13億3,600万円(建設当時)の巨費を投じて昭和28年に完成した我が国初のロックフィルダムだったそうです。

石淵ダムは、昭和28年竣工以来60年の永きにわたり、北上川・胆沢川の洪水被害軽減をはじめ、ダム下流に広がる広大な胆沢平野の水田にかんがい用水を供給し、さらには、電力供給を行うなど地域生活の基盤として欠くことのできない目的を果たしてきたそうです。

その間、平成20年の岩手・宮城内陸地震などの大地震にも耐え、流域の安全・安心の役割を担ってきたそうです。しかし、北上川の洪水氾濫のより一層の低減と下流域の水需要の増加に伴い、胆沢ダムの建設が進められ、石淵ダムは平成24年10月に60年の歴史に幕を降ろしたということだそうです。

現在、石淵ダムの機能は胆沢ダムに引き継がれ、また、胆沢ダムへの土砂流出の防止という新たな役割を担い、なお一層地域の生活基盤の向上をめざしているとのことです。

北上川ダム統合管理事務所のホームページにはこのように説明されています。

石淵ダムは日本で最初に施工されたロックフィルダムだそうですが、完成したのは岐阜県の小渕ダムというロックフィルダムが最初なんだそうです。

あと、石淵ダムの水没地の補償問題は、日本国憲法の制定前で移転住民に大きな禍根を残したとウィキペディアに書いてありましたね。



胆沢ダムの天端から石淵ダムを見ました。

胆沢ダムの天端には、石淵ダムカード風フォトフレームや、石淵ダムを偲ぶパネル展示がされていました。

おわかりいただけますでしょうか?



ズームしてみました。石淵ダムの面影が見ることができるかと思います。



堤体上流部には取水塔もあったようですね。



胆沢ダムのダム湖「奥州湖」湖畔の、かつて石淵ダムがあった付近には、石淵広場という場所が整備されていて、石淵ダムのゲートモニュメントが展示されています。

間近でゲートを見るとやっぱり大きいですね。



胆沢ダムの完成によってダムとしての役割を終えた石淵ダムは、奥州湖の湖底で貯砂ダム的な機能を担っているそうです。

また見えたら見に来たいと思いました。