2026年3月1日日曜日

ごちそうさまでした

 


AIにイラストを描いてもらいました😄

・「営業中」の提灯が吊るされてあって、趣のある店内の雰囲気を出していますね😂

・店員さんはお鍋から直に手づかみで麺を調理していますね😂

・掲示物「本日のメン」とは気になりますね😂

・入口に「ラ・メ」の暖簾が😂「ラメーン」でしょうか😂

・箸が2膳用意されている?😂

・このレイアウトでは店員さん営業時間中は脱出不可能😂??

細かい場所を見ると不思議な表現が少なくないですが、それでも、一瞬でラーメン屋さんの画像を生成してくれるとは、AIさんはすごいと思いました(小並感)。


以下は、このあいだ、ラーメン屋さんでラーメンを食べながら考えていたどうでもいいお話です。

先日ラーメン屋さんでラーメンを食べているときに、私より先に食べていたお客さんが「ごちそうさまでした」と店員さんにお礼を言ってからお店を出て行っていました。

私も食べ終えて退店するときは「ごちそうさまでした」と言うようにしています。



では、「ごちそうさま」と言って退店するのであれば、お店に入る時には「いただきます」と言って入店すればいいのかな?🤔

ウィーン(自動ドアが開く音)

店員さん「いらっしゃいませー」

私「いただきまーす」

🤔

よくわかりませんが、「いただきます」の宣言は、ラーメンが着丼してからの方がより適切なタイミングのように思えますね。


そういえば、入店時の作法について考えたことはなかったなーとか考えました。

いつも、店員さんに「いらっしゃいませー」と声をかけられると、何も言わずに人差し指を上に向けて「1名」合図をして、「1名様ご案内でーす」と言われながら着席するパターンが多いですね。

「いつもご来店ありがとうございます」なんて言われた日にゃあ

「あっ!うっ?…ドゥフッ!」って声にならない返事をしてドギマギしてしまいます。

もっとスマートにいきたいものです。


そんなことを考えながらラーメンを食べていました。

2026年2月14日土曜日

金田一春彦さんの『美しい日本語』を読みました


 金田一春彦さんの『美しい日本語』を読みました。

金田一春彦さんは日本の言語学者で、父は文学博士の金田一京助さん、ご子息に言語学者の金田一秀穂さんがいらっしゃるそうです。

文庫本の裏表紙によると、この本は、他者との関係性や自然を大切にしてきた日本人の文化を映し込んだ日本語を解説された本、ということになるようです。

内容は、学術論文のような難しいものではなく、たとえ話や著者の過去の体験談等を盛り込みつつ、日本語の表現についてのあれやこれやとわかりやすく解説されたものとなっておりました。

まずひとつ面白いと思ったことは、最上級の敬語を使ったとしても、それが日本語によるコミュニケーションにおいて正解なのかということを考えされられたということでした。

本書では、招かれたお宅で醤油を取ってもらうときを例に挙げて解説されておりました。

「醤油を取ってください」というニュアンスでは、目上の人に命令する形になってしまい失礼かもしれない。

そこで、「それはお醤油ですか」と尋ねることで、失礼にならないよう配慮するのだそうです。(ちなみに、聞かれた相手が、こちらが醤油を欲していると気づけば取ってもらえるが、そうでなければあきらめるしかない、とも書かれておりました(笑))。

次に、私がハッと気づかされたと思わされたことは、「相手に恩着せがましい言いかたは避ける」ための言葉を使うということでした。

本書では例として、自分がお茶を淹れたのに、あたかも自分でお湯から煎じられたかのように「お茶が入りました」と言い、また、自分が準備しても、あたかも自然に温度上昇したかの如く「お風呂が沸きました」と表現すると書かれていました。

ちなみに、厳密にいうと、これまた別のセクションで解説がありましたが、沸いたのはお風呂の浴槽に張ったお湯であってお風呂そのものではない、これも日本語のあいまいな表現の一つだそうです。我々も知らず知らずのうちに、共通の事実は省略して話す傾向があるそうで、「夏目漱石が好き」と記述しても、基本的には、夏目漱石の小説が好きだというニュアンスでコミュニケーションが成立する、という傾向があるそうです。

などなど、このほかにも、日本語が諸外国語と比べて表現に乏しいもの、逆に多くの表現があるものについてや、自然と日本人、日本語との関係から見えてくるものについてなど、私は最初から最後まで感心したり笑ったり泣いたり勉強させていただいた感じがしました。

また、全編にわたって著者の穏やかそうな人柄が表れているような優しい文体が、読んでいて私の心をも穏やかにさせてくれました。

また暇なときに読みたいと思うとともに、これに書かれていた日本語に注意して言葉を使っていきたいと思いました。

2025年4月27日日曜日

水窪ダムに行ってきました。


水窪ダム(みずくぼダム)を見に行ってきました。水窪ダムは、山形県米沢市にある中央コア型ロックフィルダムで、堤高は62m、堤頂長は205mあるそうです。現在は米沢平野土地改良区が管理を行っているとのことです。



東北農政局の石碑がありました。



まだ春浅い冬の景色に、赤い取水塔が映えますね😊



普段であればダムカードが配布されていたようですが、このとき(2020年3月)は、新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時期でしたので、ダムカードはもらえませんでした。



ダム湖です。風もなく水鏡のようでした。誰もいない静かな景色でした。ロックフィルにまだ雪が残っていました。ダム湖は「豊饒の湖」と名付けられているそうです。



立派なロックフィルダムです🤤

青空と新緑とブルーのダム湖が一番映えるとも思いますが、このような雪景色のダムもわびさびな感じでいいですね。

私はダムの構造とか技術的なことはよくわからないので、こうしてダムを見てきれいだなと思って帰ってくることしかできませんが、これはこれでダムの一つの楽しみ方だと思ってこのままいきたいと思っています😄

今度はダムカードをゲットしに行きたいと思います😄

2024年8月17日土曜日

『悲しくも笑える左利きの人々』という本を読みました。


 『悲しくも笑える左利きの人々』という本を読みました。

この本は、著者が、左利きの子どもが社会生活で感じるギャップに悩む親御さんからの相談を幾度か受けたことをきっかけに、そのギャップを少しでも埋めるため、左利きの社会生活上の不便を文章化したものだそうです。

私も左利きです。

数年前に自分の人生の折り返し地点をふと考えたときに、右利きとして残りの人生を歩むことが出来れば、少しは社会生活が楽になるのではないかと思い、書字は右手に変更しました(矯正ではない)。

そこから、気づいた時には左手で行っていることを右手に変更しようとしておりますが、なかなか多くのことを左手で行っていることに気づかされました。

たとえば、ドライヤー。左手で柄を持って、右手でコンセントを差し、左手を駆使して髪を乾かし、左手で所定の位置に戻していました。

これを右手で行うとさあ大変。無意識に行っていたドライヤーと頭部との距離感覚がリセットされてしまい、よく頭にドライヤーの先端がぶつかります。また、温風を届かせられない部位があって、つい左手に持ち替えて乾かしてしまいました。

左利きが身体に染みついていると改めて感じました。

人生で初めて左利きとして不便を感じたのは、学校の書写の授業でした。

そう、毛筆で字を書くあれです。

筆で書く字は、右利き用にできています。

まず、毛筆の先が左上を向くように紙に筆を下ろします。左手では、左肘関節が極まってしまいます。

また、多くの「ハネ」や「ハライ」は左方向に向きます。左手でそれを行うと、裏拳を打つような動作になります。「右ハライ」は、一旦筆の動きを止めてから払うようにできていますが、左手ではそのまま払い切りたくなります。

横棒は左から右へ。右利きは腕を引きますが、左利きは腕を向かわせるので窮屈です。

当時は、慣れない右手で書写を行いましたが、今思えば、半紙を右45°に傾けて書いてもよかったのかもしれないと思うこともあります。

そこから、長い長い受難の時間を過ごすことになります。

体育の授業でソフトボールを行うにも、当時の学校に左利き用グローブは無く。

駅の自動改札機では左手をぐーっと右側に伸ばして切符を挿入し。

缶切りは下手だと揶揄され。


その他にも、左利きとして不便を被っていたことがある、ということが、この本を読んでわかりました。

たとえば、算数のテスト。

用紙の左側に問題文があり、右側に解答欄があります。

右利きの人は、何不自由なく問題文を読み、解答欄に記入することが出来ていたんだそうです。

左利きの人は、解答中に問題文を読み返すときに、左腕が問題文を覆ってしまっていたので、その都度左腕を挙上して問題文を読まなければならなかったそうです。たしかに、言われてみればこのような動作をしていたと思い出されました。

他には、ハンコ。

ハンコの押印欄は、用紙の右側にあることが多いそうです。私は、ハンコを押すたびに、紙を右に90°転回していました。こうすことで、押印欄が左下に来るからです。しかし、右利きの人は、そんなひと手間をかけることなく押印していたとは…。

あと、お寿司も、右利きの人が取りやすい方向に傾けて配膳されているそうです。左利きの私は、まるで裏側から手を伸ばしているかのように箸を操り、箸先が右下を向くようにしてお寿司を取っていました。これも右利きの人であれば、箸の持ち方を大きく変えることなくお寿司を取れていたんですね…。

理想を言えば、どちらの利き手であっても、不便を強いられない社会構造、障害の除去が望ましいと思います。左と右とが手を取り合って、互いに協力し合える社会のなっていくことを所望します。

2024年1月30日火曜日

『最後の喫煙者』を読みました


 筒井康隆さんの『最後の喫煙者』を読みました。『最後の喫煙者』は新潮文庫の自選ドタバタ傑作集です。

読もうと思ったきっかけは、以前(数十年前)、奇妙なドラマでこの表題作のドラマを見たことがあり、それの原作である小説があると最近知ったことで、読んでみたいと思ったわけであります。

表題作は、ストーリーもおぼろげながら覚えており、楽しめることが出来ました。

喫煙者が差別・弾圧されるパラレルワールドで、主人公が数少ない仲間とともに逃げながら抵抗するストーリーで、ついにその仲間も倒れ、主人公は最後の喫煙者となってしまう。といったストーリーでしょうか。

当時のドラマでは、その主人公が、喫煙者の最後の生き残りとなり、逆に保護されようとしていました。しかし、不慮の事故で命を落としてしまい、博物館に展示(剥製?蝋人形?)されてみんなの見世物になってしまうというエンディングになっていました。とても怖かったのを今でも覚えています。

このほかにも、この本には、スプラッター系の趣味を持つ医者のお話とか、老いたターザン、羽柴秀吉のif、のようなお話も収録されていました。

私は、収録されている全ての作品を読ませていただきましたが、全体的に好きなジャンルではないということがわかりました。

おそらく、私は根がまじめ(笑)な性格であるために、この小説の主人公たちの行動をどこかで許せない!と思いながら読んでしまったのではないかと思います。被害者がかわいそうだ、迷惑である、そう思いました。

そして、ひとによっては情景描写であったり、登場人物の心境などが丁寧な文章で表現されるべきところを、説明はしないなどどメタ的な一言で片づけられている場面もあり、小説を読むうえで楽しみにしている部分が根こそぎ削られてしまっていると思いました。この人の小説は、そういうものだと思って読まなければいけないのだとも思いました。

まとめとして、この本を読んで得たものは、私は、この不思議な世界観系のジャンルは苦手であるということでした。