2019年10月6日日曜日

胆沢ダム湖に沈んだ石淵ダムを見に行きました


石淵ダムが見えるということで見に行ってきました。胆沢ダムの貯水位が低下したことにより、ダム湖に沈んだ石淵ダムがちょっと見えるようになったとのことです。

石淵ダムは現在の岩手県奥州市にかつてあった北上川水系胆沢川のロックフィルダムで堤高は53m、堤頂長は345mだったそうです。

また、北上川上流5大ダム計画のうち最初に完成したダムで、胆沢川の北上川合流点(奥州市水沢区)から上流25㎞の地点に位置していたそうです。終戦直後の不安定な社会情勢下の昭和21年の着工だったため、建設に要する資材・労働力及び建設機材の確保には多くの困難を要し、8年の歳月延べ181万人の人力、13億3,600万円(建設当時)の巨費を投じて昭和28年に完成した我が国初のロックフィルダムだったそうです。

石淵ダムは、昭和28年竣工以来60年の永きにわたり、北上川・胆沢川の洪水被害軽減をはじめ、ダム下流に広がる広大な胆沢平野の水田にかんがい用水を供給し、さらには、電力供給を行うなど地域生活の基盤として欠くことのできない目的を果たしてきたそうです。

その間、平成20年の岩手・宮城内陸地震などの大地震にも耐え、流域の安全・安心の役割を担ってきたそうです。しかし、北上川の洪水氾濫のより一層の低減と下流域の水需要の増加に伴い、胆沢ダムの建設が進められ、石淵ダムは平成24年10月に60年の歴史に幕を降ろしたということだそうです。

現在、石淵ダムの機能は胆沢ダムに引き継がれ、また、胆沢ダムへの土砂流出の防止という新たな役割を担い、なお一層地域の生活基盤の向上をめざしているとのことです。

北上川ダム統合管理事務所のホームページにはこのように説明されています。

石淵ダムは日本で最初に施工されたロックフィルダムだそうですが、完成したのは岐阜県の小渕ダムというロックフィルダムが最初なんだそうです。

あと、石淵ダムの水没地の補償問題は、日本国憲法の制定前で移転住民に大きな禍根を残したとウィキペディアに書いてありましたね。



胆沢ダムの天端から石淵ダムを見ました。

胆沢ダムの天端には、石淵ダムカード風フォトフレームや、石淵ダムを偲ぶパネル展示がされていました。

おわかりいただけますでしょうか?



ズームしてみました。石淵ダムの面影が見ることができるかと思います。



堤体上流部には取水塔もあったようですね。



胆沢ダムのダム湖「奥州湖」湖畔の、かつて石淵ダムがあった付近には、石淵広場という場所が整備されていて、石淵ダムのゲートモニュメントが展示されています。

間近でゲートを見るとやっぱり大きいですね。



胆沢ダムの完成によってダムとしての役割を終えた石淵ダムは、奥州湖の湖底で貯砂ダム的な機能を担っているそうです。

また見えたら見に来たいと思いました。

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