2023年6月22日木曜日

『硝子戸の中』を読み終わりましたが…


 

今しがた、夏目漱石さんの『硝子戸の中』を読み終わりました。

著者が体調不良で自宅?で療養しながら、今までの人生の記憶とか、幼少期の思い出とか、地元の風景とか、宅を訪ねてきた人とのやりとりとか、を比較的短い文章でまとめた(新聞に連載されていたそう)随筆に分類される書物だそうです。

一つ一つのお話が、興味を持って読めたり、字面を追うだけで何も読後の記憶がなかったりで、備忘録としてブログに書くにも記憶の掘り起こし作業が難しいです。

結局、あとがきの解説を読んで、硝子戸の中で自身の思い出を整理したことによって、生きる活力が生まれて、最後は硝子戸を開けることができた、みたいなことが書いてあって、それでようやく全体像をつかませてもらった感じです。


こういった文書を読むたびに、私は、自身の記憶を辿って、それを不特定多数の人に読んでもらえるように文書化する作業に憧れを抱きます。

これまで何十年と生きてきましたが、それこそボーっと生きてきましたので、学校の日記の宿題も苦手だったので、出来事を文書化する作業というものをほとんどしてきませんでした。

私はすぐに影響されるので、「私もエッセーを書いてみたい!」と思うことがあります。

しかし、文書化された人生の記憶のストックがないために、その取っ掛かりにすらつくことはできません。

できれば私も…

“あれは、○歳のときだった。その頃、この町には○○があって、友人の○○と学校が終わると、○○に○○しに行ったものだ。当時○○には兄がいて、彼の兄からも可愛がってもらった。「○○、あいつはうそをつくから信用しちゃだめだ」。うっかり、私は○○の言葉を信じて、○○してしまうところであった。してしまっていたら、怪我をしてしまっていたかもしれない。”

…などと、スラスラと書いてみたいものである。

話は戻りますが、『硝子戸の中』の中に、ほんの少しだけ、『吾輩は猫である』に関係ありそうな猫のお話が出たのが、点と点がつながったようなうれしさを覚えました。

まさしく自分の言動そのもののような、ふらふらとした感想文になってしまいました。

おしまい

2023年4月20日木曜日

『国家の品格』を読んだことがありました


藤原正彦さんの『国家の品格』をいつぞや読みました。

例によって、本を読んでからずいぶん時間が経ってしまっているので、本の内容がおぼろげになっています(言い訳)。

この本は、作者がこれまでの経験・体験によって得た、日本人的な思考を、諸外国のそれに飲み込まれてはいけない、ということについて、さまざまな事例を挙げながら解説されている内容だったと記憶しています。

この本の中で作者が一番訴えたかったことではなかったかもしれませんが、読み終わってから、私がぜひ実践したいと思ったことは、「教養を身につける」ということでした。

作者は、外国での異文化コミュニケーションの体験によって、教養を身につける必要性について語ってたと思うんですよねー(;^_^A

違ってたらごめんなさい。

ここからは私の考えを少しだけ書きます。

この貨幣経済の資本主義社会で生きていくためには、お金が必要だといわれています。金融の知識、資産管理、税金や社会保険等。。。知らないとお金に苦労することは間違いないと思います。お金の知識をしっかり身につけることは、生きていく上で必要なことだと思います。お金がないと生きていけませんからね。すべて自給自足で生活できればお金はいらないと思いますけれど、私の欲求を満たすためには、お金を通じてそのサービスを得なければなりません。それは、たとえば、おいしいラーメンを食べるとかです。

しかし、お金に知識だけではいけないのだと思いました。もちろん、お金に知識が不要であるということではありません。ゼロか100かの論理ではなく、それだけではいけないのではないか。私を私たらしめるものの構成要素の一つとして、教養も幅広く身につけておかなければならないだろう、ということです。

それは、人とお話をするときに、話題の引き出しは一つでも多くしておくことで、コミュニケーションを円滑に進めるためのツールに、教養がなり得るのではないかと思ったからです。

教養と関係があるかはわかりませんが、ある時、年の離れた人と話をしていて、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の書き出し「月日は百代の過客にして…」を諳んじたところ、その人に好印象を持たれたことがあります。その時私は、話題の引き出しは多い方がいいなと思った記憶があります。

 特に私は、経済金融の知識を身につけるのが苦手でして、その代わり教養に分類されるものを身につける方が性に合っているように思います。

じゃあ、教養って何だ?って話になりますけれでも、それはまだわかりません。今はまだ教養と言えるような立派なものは身についていませんので、この場でお前の教養を披露してみろ!と言われても無理であります(;^_^A

これから少しずつ少しずつ自分が面白いなと思ったことや、古典、いろんなジャンルの本を読んだり聞いたりしながら、探していきたいと思います。

とにかく、この本は平易な文章で人間くさい熱い思いによって日本人の「国家の品格」について書かれているようです。話し言葉でサクサク読み進められたことだけは覚えています。そして、日本人的な思考・思想を大事に守っていくべきであると思わされました。

とてもいい本だったと思います。また機会があったら再読したいと思います。

2023年4月9日日曜日

『転職の思考法』の本を読みました。


 『転職の思考法』の本を読みました。

この本は、(架空の?)転職を考えている人と、転職エージェント、転職をした人が登場します。

転職を考えている人が、久しぶりにあった人から転職エージェントを紹介されて、その転職エージェントが、転職のための考え方を教えていくというストーリー仕立てで進んでいきます。

ストーリーを通じて、転職するための考え方や、転職先の会社を見るポイント等についての、一つの見方、考え方についてまとめられたものだと思って読みました。

そして、セクション毎に、エージェントの言ったことをメモする、という形で、要点が簡潔にまとめられてから、ストーリーが進んでいきます。その都度、理解を深めながら読み進めていくことができました。

まあ、実際のところ、私は転職は考えていません。何か本を読みたいなーと、アマゾンで検索したところ、この本がアマゾンで売れている本ということで、読んでみることにしたのでした。

この本を読んだのは、もう一年以上前のことです。読んでからずいぶん時間が空いてしまったので、うろ覚えでの感想になってしまいますがご容赦くださいませ。。。


…。


なんか、この本を読んで私はとても不安になりましたね。私が現在の職場で積んできた経験は、ほかの会社でも通用するものであるのかどうか?いや、しないだろう、と。

私の職場は、国家資格等専門職が集まるところです。その中に、ハローワークの職業訓練を経て入社し、上司にゴマをすりながらキャリアを積んできました。何度かの異動を経て、現在は、パソコンの前で一日中エクセルを閉じたり開いたりする仕事をしています(笑)。もはや果たしてこれは経験と言えるのか?と言った感じです。強いて言えば、対人折衝能力(という名の「ゴマすり」)は少し身には付いたかな?とは思いますが。これからは、他の環境でも通用するようなスキルも身に付けることを念頭に置いて、経験を積んでいく必要もあるな、と思いました。

と思ってはみたものの、何から手を付けていいのかわからない状態であります。とりあえず、自分の考えをまとめて、言語化できるようにすること、は最低限、人として最低限必要なスキルになるのではないかと思います。

そのため、本を読んで、その感想をブログに文書としてまとめる作業から始めてみているところです。

転職の他にも、仕事をしていく上で心配事があります。それはAIです。

これからAIが実用化されて、AIが仕事をしてくれる時代がやってくるのは確実だと思っています。そんな時代に、人間としてどうあるべきか?その時、私はどうすればいいのか?求人はいつまであるのか?

そんなことを考えているうちに、私はまた深い眠りにつくのでありました。。。

2023年3月27日月曜日

一度読んだら絶対に忘れないシリーズの本を


読もうと思いましたが途中で挫折してしまいました(T_T)

読もうと思ったのは「地理」でした。


思い起こせば、私は学生時代、地理が大の苦手でした。

中学校のテストでは、地理・歴史・公民で一つの社会という科目でした。前述のとおり、私は地理が苦手でしたので、いかにして歴史と公民でテストの得点を稼ぐかに対策と取っていました。


小学生の頃は勉強しなくてもテストで高得点をもらえていた私が、中学生でそういかなくなり始めたのは、英語と地理が原因でした。


地理は、まずもって何を勉強しているのか?ゴールが見えないことが苦痛でした。

逆に、歴史は、現代に来ると勉強の終わりが見えるので気楽でした。

そのほかの科目もゴールが見えませんでしたが、なんとなく勉強の内容が理解できたので、それなりにテストの点数をもらうことはできました。


このブログで、私がいかに地理が苦手であったかを書きたいのに、地理で勉強していた内容、授業の内容、教科書(当時)の内容、ほとんど覚えていないので、詳細な説明ができずに、悔しい思いをしながら、今タイピングをしています。

たとえば、テストで、図の円グラフはある生産物の生産量を地域別にあらわしたものです。この生産物を答えなさい。とか、生産量第2位の地域を答えなさい。とか。授業の内容がわからなかった私にとって、その問題を解くための手掛かりが全くなく、常に「なんとなく」解答していました。

図のグラフは、ある都市の年間降水量と気温を表しています。。。雨量が少ないから砂漠かなぁ…。


中学校の地理がこのような出来だったので、高校では地理を選択せず、日本史と世界史を選択しました。ちなみに理科は、地学と化学を選択しました。

そのため、私の地理の知識は、中学校レベル未満であるといっても過言ではありません。


さいきんになり、読書をするようになりました。この勢いに乗じて、地理の参考書を読んで、人並みの地理の知識をつけたいと思い、この本を手に取りました。

はじめは、緯度経度でした。ふむふむ。これは知っている…。

次は、地形でした。ふむふむ。これは地学でやったぞ…。むむ。この図で陸はこっちか?こっちは海か?天橋立は観光名所で有名だ…。これなら読めるぞ…!?

次は、気候でした。名前は聞いたことがあるが、名前と気候が結びつかない…。気候と作物も結びつかない…?日本は何気候だ…??待て待て、高緯度ってどっちだっけ???


一度読んだら忘れないはずなのに、何度読んでもなかなか覚えられず…。


結局、途中で読めなくなってしまいました。書いてある言葉を読むことはできるのですが、その内容が理解できないのです。英語の音読はそれっぽくできるけれども、訳すことはできないみたいな感じでしょうか。

わかりやすく解説してくれた本にもかかわらず、理解できなかったため、とても悔しく思います。

いつか再度この本にチャレンジしたいと思います!!

2023年3月6日月曜日

「門」を読みました。


 夏目漱石さんの小説「門」を読みました。


門のあらすじは、Wikipediaによると、

宗助は、かつての親友である安井の妻である御米を得たが、その罪ゆえに、ひっそりと暮らさざるをえなかった。そのため弟小六に関する父の遺産についてもあまり関心を示さず、小六を引き取り共に暮らすことになる。しかし気苦労の多い弟との同居のためなどで、御米は寝込んでしまう。大事にはならなかったが、やがて安井の消息が届き、大家の坂井のもとを訪れることを聞く。宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、結局悟ることはできず帰宅する。

すでに安井は満州に戻り、小六は坂井の書生になることが決まっていた。御米は春が来たことを喜ぶが、宗助はじきに冬になると答える。

というものだそうです。

もちろん最後まで読みましたけど、あらすじをまとめるのがまだ不得意のため、引用させてもらいました。

この小説を読みながら思ったことは、あくまで個人的な意見ですが、少し消化不良な終わり方かな?と思いました。

それは、この「門」前に読んだ、同じく夏目漱石さんの「それから」が終盤で今までギリギリで保たれていた日常が崩壊してしまう様に心躍ったためだと思います。

「それから」のノリで「門」を読み進めていたので、この門をくぐり、出てきてから、この安井と何かしらのやりとりが始まるものと思っていましたが、結局、主人公と出会うことはなく(私の記憶違いでなかったら、この二人は会わなかったはず…)、淡々と御米との生活に戻っていく…。

なんか、期待していた気持ちが肩透かしを食らったようで、読み終わってモヤっとしてしまいました。

内容についてはそんなところですが、小説を書くということはさぞ大変だろうな、ということは改めて思いました。

詳説に出てくる場面において、季節はいつで、どのような建物で、だれがどこで何を…、といったことを、読者に飽きさせずになおかつ過不足なく言葉で描写をするという作業は、根気のいる作業であろうと思います。

五感で感じた外部からの刺激を、言葉に置き換えるというのは、才能というようなセンスのようなものがないとできないなーって思いました(小並感)。

とは言うものの、物語中盤の安井と会うことになるかもしれないとなったときの主人公の焦りのようなものは、私もドキドキしながら読み進めていました。

毎度毎度つたない文章で申し訳ございません。ご清聴ありがとうございました。