藤原正彦さんの『国家の品格』をいつぞや読みました。
例によって、本を読んでからずいぶん時間が経ってしまっているので、本の内容がおぼろげになっています(言い訳)。
この本は、作者がこれまでの経験・体験によって得た、日本人的な思考を、諸外国のそれに飲み込まれてはいけない、ということについて、さまざまな事例を挙げながら解説されている内容だったと記憶しています。
この本の中で作者が一番訴えたかったことではなかったかもしれませんが、読み終わってから、私がぜひ実践したいと思ったことは、「教養を身につける」ということでした。
作者は、外国での異文化コミュニケーションの体験によって、教養を身につける必要性について語ってたと思うんですよねー(;^_^A
違ってたらごめんなさい。
ここからは私の考えを少しだけ書きます。
この貨幣経済の資本主義社会で生きていくためには、お金が必要だといわれています。金融の知識、資産管理、税金や社会保険等。。。知らないとお金に苦労することは間違いないと思います。お金の知識をしっかり身につけることは、生きていく上で必要なことだと思います。お金がないと生きていけませんからね。すべて自給自足で生活できればお金はいらないと思いますけれど、私の欲求を満たすためには、お金を通じてそのサービスを得なければなりません。それは、たとえば、おいしいラーメンを食べるとかです。
しかし、お金に知識だけではいけないのだと思いました。もちろん、お金に知識が不要であるということではありません。ゼロか100かの論理ではなく、それだけではいけないのではないか。私を私たらしめるものの構成要素の一つとして、教養も幅広く身につけておかなければならないだろう、ということです。
それは、人とお話をするときに、話題の引き出しは一つでも多くしておくことで、コミュニケーションを円滑に進めるためのツールに、教養がなり得るのではないかと思ったからです。
教養と関係があるかはわかりませんが、ある時、年の離れた人と話をしていて、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の書き出し「月日は百代の過客にして…」を諳んじたところ、その人に好印象を持たれたことがあります。その時私は、話題の引き出しは多い方がいいなと思った記憶があります。
特に私は、経済金融の知識を身につけるのが苦手でして、その代わり教養に分類されるものを身につける方が性に合っているように思います。じゃあ、教養って何だ?って話になりますけれでも、それはまだわかりません。今はまだ教養と言えるような立派なものは身についていませんので、この場でお前の教養を披露してみろ!と言われても無理であります(;^_^A
これから少しずつ少しずつ自分が面白いなと思ったことや、古典、いろんなジャンルの本を読んだり聞いたりしながら、探していきたいと思います。
とにかく、この本は平易な文章で人間くさい熱い思いによって日本人の「国家の品格」について書かれているようです。話し言葉でサクサク読み進められたことだけは覚えています。そして、日本人的な思考・思想を大事に守っていくべきであると思わされました。
とてもいい本だったと思います。また機会があったら再読したいと思います。
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