齋藤孝さんの『 だれでも書ける最高の読書感想文』を買いました。
まだ読んでいないので、これから読みます(笑)。
私がこの本を読もうと思った理由は、まともな読書感想文を書いてみたいので、そのための方法について知りたいと思ったからです。
改めて思い出してみると、私の読書感想文の思い出にはろくなものがありませんでした。
読書感想文には、学生時代ずっと悩まされ続けてきました。悩みは、(本を)読めない(感想文を)書けない(図書を)探せない、の三重苦でした。
読書感想文という文字を見ると、必ず小学校のあたりの頃の記憶がよみがえります。
学校の先生は、揃ってこう言いました。
「自分の好きな本を読んで、その感想を自由に書いてください。書き方に決まりはありません。」
私は、自由に書くということがとても苦手でした。今も苦手ではあります。読書感想文を書けと言われても、何をどのように書いていいのかわからないし、本を読んでも、「へぇ、そうなんだ」で終わってしまい、感想を持つということがなかったことも原因だと思います。
参考にさせていただけるような読書感想文の見本を読んでみたかったのですが、先生は誰もそれを見せてはくれませんでした。自由だから、誰かの感想文を参考にしてはいけないという理由だったと記憶しています。
さらに思い返してみると、長期休業中の宿題は、「夏休みの友」と「自由研究・工作」と「読書感想文」だったような気がしますが、読書感想文は一度も提出した覚えがありません。小学生時代に、活字の本を読んだ記憶が全くありませんから。
たぶん、登校日まで間に合わなかったことにして、そのまま知らんふりをして時間が過ぎるのを待っていたのだと思います。読書感想文の提出が忘れられる日まで。
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…あれから数十年。
今、私は、過去に成し遂げられなかった苦い思い出を打ち破るために、個人的に小さな小さなアクションを起こしていきたいと思っています。
途中で挫折した本を最後まで読み切れるようになったり、他にはあれだったりこれだったり…。
その中の一つに、読書感想文を書きあげてみたいという目標があります。
誰に見せるわけでもありませんが、その本を読んだ証拠として、しっかり読んだ人でないと書けないような内容についての言及であったり、それについての考察であったり、感想であったりを、理路整然かつ淡々と言葉を紡いで、読書感想文にしてみたいです。それが出来るようになったところで、何かが自分の人生が変わるようなこともないと思いますが、過去の悔しい思い出にひとつケジメをつけられるのであれば、それはそれでいいのだと思います。
さて、そこで最初の本に戻ります。
この本をパラパラとめくってみた程度での印象では、読書感想文を書くための、本の選び方や、読書に対する姿勢(能動的にではなく主体的にとりかかる)、文書作成のための具体的な方法(印象に残った箇所をメモる、とか)、自分だけの感想文にするためのテクニック、感想文を書くための本の紹介、について、平易なわかりやすい文章で書かれています。
著者の読書感想文は掲載されていませんが、何かのコンクールの出された感想文は載っていました。
その感想文を読んでみましたが、感想文の文字一字一句がキラキラ輝いていて、私は直視することができませんでした。むしろ、逆の意味で目を逸らしたくなるような文章でした。とてもピュアで純粋な心で図書に向き合っていて、登場人物に寄り添っていて、鬱蒼とした深い森の奥に清く澄んだ湖を見たような、そんな感想文でした。
これが読書感想文というものか、と、“本物”の実力を見せつけられたような思いがしました。
この本に小学生の頃に出会っていれば、読書感想文はもっと簡単に書けるようになっていたのかもしれないと思いました。学校の先生も、ノーヒントではなく、例えばの話しとして、この本に書かれているようなテクニックについて教えてくれれば、私のような感想文落第生は少なくなるのに…と思いました。
私は、この本に書かれているテクニックを身につけて、本を読んで、感想文を書けるようになれば、私自身が少し成長できたと感じることができるのではないかと期待しています。そのためには、この本をいち早く読み始めなければなりません。
そう思いつつ、私は今日もまた、YouTubeアプリを立ち上げるのでありました…。