夏目漱石さんの小説「それから」を読んだ。「それから」は、1909年に新聞に連載された小説だそうである。
あらすじは、親のすねをかじりながら、親元を離れて親の仕送りで生活している無職の代助が主人公のお話。ある日、昔からの友人平岡と、その妻で死んだ共通の友人の妹である三千代と再会した。代助は三千代へのかつての恋心が再燃してしまう。一方で、親からはお見合いの話が来て、兄や嫂も結婚するよう代助に勧める。代助は、自分が納得しないことはしない主義で、結婚もしたいと思っていないからしないとか言って家族を困らせている。そして、代助は、平岡のいない隙を狙って三千代と会い始める。とうとう代助は三千代に自分の思いを告白することを決意するが…。
というイメージで読んでいた。
私は、この「それから」を読み終わったときに、まるで一本の映画を見終わったような、ドラマティックな展開にしばし呆然としてしまった。(映画を見終わったような感覚は、小説だから当然ではあろうが、この小説は特に久しぶりに心を揺さぶられた展開であった。)そして、本の表紙を見ながら、さながら映画のエンドロールを見ているがごとく、小説の余韻に浸っていた。
うまく表現することができないが、代助は、自分のために行動を起こして、それは自分なりに運命の歯車のようなものを回し始めていき、あと少しのところで歯車がかみ合って運命が動き出すはずだったのだ。しかし、運命は残酷なもので、そのために犠牲にしてきた家族や友人との関係が崩れ去ってしまったのであった。
私は、代助は家が苦手だったのかもしれないと思った。ここでいう家というのは、建物のそれではなく、家族等の共同体のことである。だから、仕事が多忙なためにもともと会えない父に会う機会を更に少なくし、父が持ってきたお見合い話も断り続けていた。その一方で、無職で無収入だった代助は父を当てにすることしかできなかったため、その相反する現状に折り合いをつけるために、家を離れて暮らしていたのでしょう。
家を離れると、自立した生計がなっていなくても、所謂大人になったと勘違いしてしまい、言動も身の丈に合っていない、父からすると何を言っているんだ?と思われるようなことになってしまったのだと思う。それは、私が大学生の時に、家を離れて一人暮らしをしていたときに、そのように大人になったつもりになったと勘違いしたことから、代助もそう思ったのではないだろうかと推測するのである。
「それから」は、夏目漱石さんの「三四郎」の“それから”であるとされる。著者もそのつもりで書いたといっているという話もインターネットで見たことがある。その後に発表された小説「門」と合わせて、夏目漱石さんの前期三部作と言われているらしい。
「三四郎」と「それから」は、ストーリー上の直接のつながりはないが、主人公が好きになった女性が、自分とは別の人と結婚してしまう「三四郎」、主人公が好きだったが別の人と結婚している女性との「それから」。続けて読んでしまうと、代助が三四郎に思えてくる。三四郎が結婚してしまった美禰󠄀子と再会してしまったらどうなっていただろうか?という気持ちで読んでみてしまった。ただし、三四郎は代助ほど理屈っぽくはないし、代助は三四郎と違ってよく喋る。
異なる小説の主人公同士を重ねて見えてしまったために、この小説でも、三千代がなんだかんだ最後の最後に、やっぱり私は平岡さんと一緒にいます。なんて言い出すことはないだろうかと、ひやひやしてしまった。
この小説の“それから”どうなったのかについては書かれていないので、推測の域を出ない。私は、すべての人間関係が崩れてしまったことから、今後の代助の人生はあまり満足のいくものにならないような気がした。何となくそう感じたので、それについて理由を述べることはできない。
しかし、読み終わった後に、学生の頃はあんなに嫌いだった読書感想文を、こうしてつたない文章ではあるが書いてみたくなったほど、この「それから」は、私の心を揺さぶった、そんな小説であったということは間違いないのである。