昔はFAXで書類のやり取りしていましたが、今の時代は、
①メールで送られてきたPDFファイルを弊社で印刷して、
②それに署名捺印をして、
③それをスキャナーでスキャンして、
④出来上がったPDFファイルをメールに添付して返信
してくださいだそうな。
時代は変わりましたね😆
2023年ですもんね!
①メールで送られてきたPDFファイルを弊社で印刷して、
②それに署名捺印をして、
③それをスキャナーでスキャンして、
④出来上がったPDFファイルをメールに添付して返信
してくださいだそうな。
時代は変わりましたね😆
2023年ですもんね!
『ノルウェイの森』は村上春樹さんの1987年の長編小説だそうです。
あらすじは…、
「主人公のワタナベが、学生時代に出会った数多くの女性とのあんなことやこんなことを回想するお話…」
とても簡単にまとめてしまうと、こんな感じでしょうかね。。。
文書はとても読みやすく、登場人物がいる場所の風景もありありと具体的に想像でき、物語の世界に入っていくことができました。私が学生時代に入った大学の近くの洋食屋さんとか、地元の小さな書店とか、林間学校で宿泊した合宿所とか、ロールプレイングゲームに出てきた建物とかを想像し、自分の記憶と重ね合わせながら読みました。
それはよかったのですが、私にとってワタナベの思考回路が不思議でたまりませんでした。ワタナベの脳ミソがおち○ん○んに支配されているんじゃないかと疑ってしまいました。
ワタナベの前に新しい女性が登場するたびに、私は「やれやれ」と思ってしまいました。なぜならば、物語を読み進めていくと、ワタナベと出会った女性は結構な割合で「やれやれ」と思う展開に発展していったからです。この件については多くは語りますまい。
私がこの小説で気に入ったのは、緑という女性がワタナベに自分の理想を語るところですね。
緑は『苺のショート・ケーキ』を例に出してワタナベに説明をしますが、ワタナベは理解できないようでした。私は、このくだりを読んで、緑が何を言わんとしているのかがスッと入ってきました。
喩えるなら将棋でいうところの「三手の読み」のような、1.自分はこうする、2.相手はこうする、3.そうしたら自分はこうする、という理路整然とした説明が出来るようになりたいものです。
あと、ワタナベの上級生で永沢という男性が出てきます。永沢は頭がよくて(色々な)行動力がある人物として登場し、大学卒業後は外務省に就職して海外赴任もするような人物として描かれていました。
そんな永沢ですが、私は、この「永沢」という字面を見ると、どうしてもあの某国民的アニメの登場人物(タマネギ頭)が浮かんできてしまいます…。
永沢はワタナベに対して、人生において大切なことについてすごく立派なことを論理的に語るのですが、私の頭の中の映像には、永沢はどうしてもあのキャラクターが浮かんできてしまって…🧅。
私は、この小説を読みながら、この小説に登場してくるような人物と現実に会って交わるようなことは絶対ないだろうなと思いました。それは、私と彼らとでは、住んでいる世界も、思考も、情熱のようなものも違っているように思えたからです。実際にこの登場人物のような人がいるかはわかりませんが、いたとしても自分から話しかけることはないだろうし、向こうも私に話しかけることはないと思います。
身の丈に合った生き方をしたいものだと思いました。
まだ読んでいないので、これから読みます(笑)。
私がこの本を読もうと思った理由は、まともな読書感想文を書いてみたいので、そのための方法について知りたいと思ったからです。
改めて思い出してみると、私の読書感想文の思い出にはろくなものがありませんでした。
読書感想文には、学生時代ずっと悩まされ続けてきました。悩みは、(本を)読めない(感想文を)書けない(図書を)探せない、の三重苦でした。
読書感想文という文字を見ると、必ず小学校のあたりの頃の記憶がよみがえります。
学校の先生は、揃ってこう言いました。
「自分の好きな本を読んで、その感想を自由に書いてください。書き方に決まりはありません。」
私は、自由に書くということがとても苦手でした。今も苦手ではあります。読書感想文を書けと言われても、何をどのように書いていいのかわからないし、本を読んでも、「へぇ、そうなんだ」で終わってしまい、感想を持つということがなかったことも原因だと思います。
参考にさせていただけるような読書感想文の見本を読んでみたかったのですが、先生は誰もそれを見せてはくれませんでした。自由だから、誰かの感想文を参考にしてはいけないという理由だったと記憶しています。
さらに思い返してみると、長期休業中の宿題は、「夏休みの友」と「自由研究・工作」と「読書感想文」だったような気がしますが、読書感想文は一度も提出した覚えがありません。小学生時代に、活字の本を読んだ記憶が全くありませんから。
たぶん、登校日まで間に合わなかったことにして、そのまま知らんふりをして時間が過ぎるのを待っていたのだと思います。読書感想文の提出が忘れられる日まで。
。
。。
。。。
…あれから数十年。
今、私は、過去に成し遂げられなかった苦い思い出を打ち破るために、個人的に小さな小さなアクションを起こしていきたいと思っています。
途中で挫折した本を最後まで読み切れるようになったり、他にはあれだったりこれだったり…。
その中の一つに、読書感想文を書きあげてみたいという目標があります。
誰に見せるわけでもありませんが、その本を読んだ証拠として、しっかり読んだ人でないと書けないような内容についての言及であったり、それについての考察であったり、感想であったりを、理路整然かつ淡々と言葉を紡いで、読書感想文にしてみたいです。それが出来るようになったところで、何かが自分の人生が変わるようなこともないと思いますが、過去の悔しい思い出にひとつケジメをつけられるのであれば、それはそれでいいのだと思います。
さて、そこで最初の本に戻ります。
この本をパラパラとめくってみた程度での印象では、読書感想文を書くための、本の選び方や、読書に対する姿勢(能動的にではなく主体的にとりかかる)、文書作成のための具体的な方法(印象に残った箇所をメモる、とか)、自分だけの感想文にするためのテクニック、感想文を書くための本の紹介、について、平易なわかりやすい文章で書かれています。
著者の読書感想文は掲載されていませんが、何かのコンクールの出された感想文は載っていました。
その感想文を読んでみましたが、感想文の文字一字一句がキラキラ輝いていて、私は直視することができませんでした。むしろ、逆の意味で目を逸らしたくなるような文章でした。とてもピュアで純粋な心で図書に向き合っていて、登場人物に寄り添っていて、鬱蒼とした深い森の奥に清く澄んだ湖を見たような、そんな感想文でした。
これが読書感想文というものか、と、“本物”の実力を見せつけられたような思いがしました。
この本に小学生の頃に出会っていれば、読書感想文はもっと簡単に書けるようになっていたのかもしれないと思いました。学校の先生も、ノーヒントではなく、例えばの話しとして、この本に書かれているようなテクニックについて教えてくれれば、私のような感想文落第生は少なくなるのに…と思いました。
私は、この本に書かれているテクニックを身につけて、本を読んで、感想文を書けるようになれば、私自身が少し成長できたと感じることができるのではないかと期待しています。そのためには、この本をいち早く読み始めなければなりません。
そう思いつつ、私は今日もまた、YouTubeアプリを立ち上げるのでありました…。
わからなくなることが私はあります。
前々からわからないでいましたところへ、ある書類を見ていたら「午後12時35分」という表現があり、いったいこれはお昼の出来事なのか、夜中の出来事なのか判断に迷ったため、ますますわからなくなってしまいました。
ここで、少し自分の認識を整理してみることにしました。
以下、私見を書き連ねていきます。
「午前8時」は朝8時。これは、おそらく多くの方が同様に思われるのではないかと思います。
したがって、「午前0時」ははその8時間前になりますので、私は夜中のことだと思います。
すると「午後0時」は、「午前0時」はその12時間後に当たるので、お昼ということになるのだと思います。しかし、本当は、お昼ちょうどを表す場合は、「正午」という表現が一番間違いないのではないかと思います。
この立場に立ってさらに考えると、「午後1時」は、24時間表記にすると、正午から1時間後に当たるので13時になりますね。
「午後11時」は23時になります。
「午後11時59分」は、23時59分です。
「午前11時59分」は、そのまま11時59分ですね。
では、「午前14時」は?
これは、「午前11時59分」の2時間と1分後なので、24時間表記にするとそのまま14時になりますかね??私は、この表現には、言葉に表しがたい違和感を覚えます。
私は、「午前14時」という時間の表現は、おそらく誤解を招く恐れがある(私は誤解する)ため、適切な表現ではないものと思われます。それは、午前と午後は、時間を12時間表記するためにある言葉であり、12時以降の時間を当てはめるべきではないものと考えているからです。
仮に「午前14時」が適切な表現でないとしたら、「午前12時59分」は適切な表現に当たるのでしょうか?
先ほどの(屁)理屈でいくとすると、「午前12時59分」は、「午前14時」の1時間と1分前なので、24時間表記にすると12時59分となります。
「午前12時59分」が12時59分ということになると、「午後12時59分」はその12時間後なので00時59分ということになり??となると「午後0時」は00時になります??
先ほど「午後0時」はお昼の12時としていたので、頭の中で矛盾が生じてしまいました。
自分で文章を書いているうちに訳が分からなくなってしまったので、私は、12時間表記で午前・午後とを使うときは、混乱を防ぐために11時59分までにして、その1分後は、00時と表現したいと思います。むしろ、すべて24時間表記にしたいと思うくらいであります。
したがって、午後12時35分という表記方法はやめたいと思いますし、できれば已めて頂戴!って感じです。
送り手と受け手で解釈が異なると、それがきっかけでトラブルが生じてしまうことはあり、できることであれば、複数の解釈が出来る表現は避けるべきだと思います。私は、この時間表記の件についてあれこれ考えながら、まずは自分の表現から気を付けて文章を考えていかなければならないと改めて思った次第でございます。