『悲しくも笑える左利きの人々』という本を読みました。
この本は、著者が、左利きの子どもが社会生活で感じるギャップに悩む親御さんからの相談を幾度か受けたことをきっかけに、そのギャップを少しでも埋めるため、左利きの社会生活上の不便を文章化したものだそうです。
私も左利きです。
数年前に自分の人生の折り返し地点をふと考えたときに、右利きとして残りの人生を歩むことが出来れば、少しは社会生活が楽になるのではないかと思い、書字は右手に変更しました(矯正ではない)。
そこから、気づいた時には左手で行っていることを右手に変更しようとしておりますが、なかなか多くのことを左手で行っていることに気づかされました。
たとえば、ドライヤー。左手で柄を持って、右手でコンセントを差し、左手を駆使して髪を乾かし、左手で所定の位置に戻していました。
これを右手で行うとさあ大変。無意識に行っていたドライヤーと頭部との距離感覚がリセットされてしまい、よく頭にドライヤーの先端がぶつかります。また、温風を届かせられない部位があって、つい左手に持ち替えて乾かしてしまいました。
左利きが身体に染みついていると改めて感じました。
人生で初めて左利きとして不便を感じたのは、学校の書写の授業でした。
そう、毛筆で字を書くあれです。
筆で書く字は、右利き用にできています。
まず、毛筆の先が左上を向くように紙に筆を下ろします。左手では、左肘関節が極まってしまいます。
また、多くの「ハネ」や「ハライ」は左方向に向きます。左手でそれを行うと、裏拳を打つような動作になります。「右ハライ」は、一旦筆の動きを止めてから払うようにできていますが、左手ではそのまま払い切りたくなります。
横棒は左から右へ。右利きは腕を引きますが、左利きは腕を向かわせるので窮屈です。
当時は、慣れない右手で書写を行いましたが、今思えば、半紙を右45°に傾けて書いてもよかったのかもしれないと思うこともあります。
そこから、長い長い受難の時間を過ごすことになります。
体育の授業でソフトボールを行うにも、当時の学校に左利き用グローブは無く。
駅の自動改札機では左手をぐーっと右側に伸ばして切符を挿入し。
缶切りは下手だと揶揄され。
その他にも、左利きとして不便を被っていたことがある、ということが、この本を読んでわかりました。
たとえば、算数のテスト。
用紙の左側に問題文があり、右側に解答欄があります。
右利きの人は、何不自由なく問題文を読み、解答欄に記入することが出来ていたんだそうです。
左利きの人は、解答中に問題文を読み返すときに、左腕が問題文を覆ってしまっていたので、その都度左腕を挙上して問題文を読まなければならなかったそうです。たしかに、言われてみればこのような動作をしていたと思い出されました。
他には、ハンコ。
ハンコの押印欄は、用紙の右側にあることが多いそうです。私は、ハンコを押すたびに、紙を右に90°転回していました。こうすことで、押印欄が左下に来るからです。しかし、右利きの人は、そんなひと手間をかけることなく押印していたとは…。
あと、お寿司も、右利きの人が取りやすい方向に傾けて配膳されているそうです。左利きの私は、まるで裏側から手を伸ばしているかのように箸を操り、箸先が右下を向くようにしてお寿司を取っていました。これも右利きの人であれば、箸の持ち方を大きく変えることなくお寿司を取れていたんですね…。
理想を言えば、どちらの利き手であっても、不便を強いられない社会構造、障害の除去が望ましいと思います。左と右とが手を取り合って、互いに協力し合える社会のなっていくことを所望します。
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