2023年3月27日月曜日

一度読んだら絶対に忘れないシリーズの本を


読もうと思いましたが途中で挫折してしまいました(T_T)

読もうと思ったのは「地理」でした。


思い起こせば、私は学生時代、地理が大の苦手でした。

中学校のテストでは、地理・歴史・公民で一つの社会という科目でした。前述のとおり、私は地理が苦手でしたので、いかにして歴史と公民でテストの得点を稼ぐかに対策と取っていました。


小学生の頃は勉強しなくてもテストで高得点をもらえていた私が、中学生でそういかなくなり始めたのは、英語と地理が原因でした。


地理は、まずもって何を勉強しているのか?ゴールが見えないことが苦痛でした。

逆に、歴史は、現代に来ると勉強の終わりが見えるので気楽でした。

そのほかの科目もゴールが見えませんでしたが、なんとなく勉強の内容が理解できたので、それなりにテストの点数をもらうことはできました。


このブログで、私がいかに地理が苦手であったかを書きたいのに、地理で勉強していた内容、授業の内容、教科書(当時)の内容、ほとんど覚えていないので、詳細な説明ができずに、悔しい思いをしながら、今タイピングをしています。

たとえば、テストで、図の円グラフはある生産物の生産量を地域別にあらわしたものです。この生産物を答えなさい。とか、生産量第2位の地域を答えなさい。とか。授業の内容がわからなかった私にとって、その問題を解くための手掛かりが全くなく、常に「なんとなく」解答していました。

図のグラフは、ある都市の年間降水量と気温を表しています。。。雨量が少ないから砂漠かなぁ…。


中学校の地理がこのような出来だったので、高校では地理を選択せず、日本史と世界史を選択しました。ちなみに理科は、地学と化学を選択しました。

そのため、私の地理の知識は、中学校レベル未満であるといっても過言ではありません。


さいきんになり、読書をするようになりました。この勢いに乗じて、地理の参考書を読んで、人並みの地理の知識をつけたいと思い、この本を手に取りました。

はじめは、緯度経度でした。ふむふむ。これは知っている…。

次は、地形でした。ふむふむ。これは地学でやったぞ…。むむ。この図で陸はこっちか?こっちは海か?天橋立は観光名所で有名だ…。これなら読めるぞ…!?

次は、気候でした。名前は聞いたことがあるが、名前と気候が結びつかない…。気候と作物も結びつかない…?日本は何気候だ…??待て待て、高緯度ってどっちだっけ???


一度読んだら忘れないはずなのに、何度読んでもなかなか覚えられず…。


結局、途中で読めなくなってしまいました。書いてある言葉を読むことはできるのですが、その内容が理解できないのです。英語の音読はそれっぽくできるけれども、訳すことはできないみたいな感じでしょうか。

わかりやすく解説してくれた本にもかかわらず、理解できなかったため、とても悔しく思います。

いつか再度この本にチャレンジしたいと思います!!

2023年3月6日月曜日

「門」を読みました。


 夏目漱石さんの小説「門」を読みました。


門のあらすじは、Wikipediaによると、

宗助は、かつての親友である安井の妻である御米を得たが、その罪ゆえに、ひっそりと暮らさざるをえなかった。そのため弟小六に関する父の遺産についてもあまり関心を示さず、小六を引き取り共に暮らすことになる。しかし気苦労の多い弟との同居のためなどで、御米は寝込んでしまう。大事にはならなかったが、やがて安井の消息が届き、大家の坂井のもとを訪れることを聞く。宗助は救いを求めるために鎌倉へ向かい参禅したが、結局悟ることはできず帰宅する。

すでに安井は満州に戻り、小六は坂井の書生になることが決まっていた。御米は春が来たことを喜ぶが、宗助はじきに冬になると答える。

というものだそうです。

もちろん最後まで読みましたけど、あらすじをまとめるのがまだ不得意のため、引用させてもらいました。

この小説を読みながら思ったことは、あくまで個人的な意見ですが、少し消化不良な終わり方かな?と思いました。

それは、この「門」前に読んだ、同じく夏目漱石さんの「それから」が終盤で今までギリギリで保たれていた日常が崩壊してしまう様に心躍ったためだと思います。

「それから」のノリで「門」を読み進めていたので、この門をくぐり、出てきてから、この安井と何かしらのやりとりが始まるものと思っていましたが、結局、主人公と出会うことはなく(私の記憶違いでなかったら、この二人は会わなかったはず…)、淡々と御米との生活に戻っていく…。

なんか、期待していた気持ちが肩透かしを食らったようで、読み終わってモヤっとしてしまいました。

内容についてはそんなところですが、小説を書くということはさぞ大変だろうな、ということは改めて思いました。

詳説に出てくる場面において、季節はいつで、どのような建物で、だれがどこで何を…、といったことを、読者に飽きさせずになおかつ過不足なく言葉で描写をするという作業は、根気のいる作業であろうと思います。

五感で感じた外部からの刺激を、言葉に置き換えるというのは、才能というようなセンスのようなものがないとできないなーって思いました(小並感)。

とは言うものの、物語中盤の安井と会うことになるかもしれないとなったときの主人公の焦りのようなものは、私もドキドキしながら読み進めていました。

毎度毎度つたない文章で申し訳ございません。ご清聴ありがとうございました。